11月4日

本日は11月4日。

3連休の中日ですね。

 

 

 

ウイキペディアで調べてみると、

11月4日に起こった出来事が。。。。

 

 

 

 

1979年 日本シリーズで広島が近鉄を破り初の日本一に。

世にいう「江夏の21球」を生んだ試合ですが、当時リアルタイムではみていません。

 

 

1980年 ジャイアンツの王貞治選手が現役引退。

何故かこれは鮮明に覚えています。

 

 

プロ野球関連を2つ並べてみましたが、本題はアイキャッチの画像通り、

 

1922年 ハワード・カーターがツタンカーメン王の墓の入口を発見。

 

95年前の今日に発見されたんですね。。

 

 

 

発見したカーターはイングランドの考古学者で、

画家の父親に幼いころから絵の手ほどきを受け、見た物を正確にデッサンができる能力を身につけていたそうです。

そのデッサン能力を買われ、高等教育を受けていないのにも関わらず、

17歳でエジプト考古学の第一人者、フリンダーズ・ピートリー率いる発掘隊のデッザン担当として加わったのが、

カーターのエジプト遺跡発掘に関わるきっかけになったそうです。

 

 

その後紆余曲折を経て、1916年からイギリスの名門貴族、カーナヴォン卿が経済的、政治的なスポンサーになり、

王家の谷の発掘調査を開始。

そしてついに1922年の11月4日にツタンカーメン王の墓を発見したのです。

 

 

カーターが発見した功績で(?)ツタンカーメン王は、古代エジプト王の中でも、世間的に一番知名度がある王だと思いますが、

当時は考古学者泣かせの存在で、その幻の王の墓がほとんど手つかずで発見されたことは、

まさに「世紀の発見」だったのです。

 

 

 

その後発掘に関わった人たちが、スポンサーだったカーナヴォン卿をはじめ、

20名以上が次々と病死していくという悲劇があり、

当時のマスコミはこれを「ファラオの呪い」、「ツタンカーメンの呪い」などと報道し、ゴシップ的にも有名になりました。

 

 

まぁこの「ファラオの呪い」は都市伝説的なでっちあげで、

現に最初に墓の前室に入った4人のうち、すぐに亡くなったのはカーナヴォン卿だけで、

カーターは1939年まで生きています(享年64歳)

 

 

 

本日はここまで