蒼烈瞬躙

こんにちは、秋田城介です。

本日は半兵衛こと竹中重治の命日です。

 

竹中重治

初め斎藤義龍に仕えましたが後に羽柴秀吉に参謀として

仕え黒田官兵衛とともに「両兵衛」「二兵衛」と称されます。

 

 

 

体が弱く見た目は痩身で女性のようであり、出陣するときも静かに

馬に乗っているだけだったといいます。

 

容貌が婦人のようであったことから、主君の龍興をはじめとする斎藤家臣団から侮られ、

龍興の寵臣である斎藤飛騨守に櫓の上から嘲弄され、小便を顔にかけられたことがありました。

数日後、飛騨守が龍興居室の宿直を務めていたとき、重治は稲葉山城に詰めていた弟・重矩の

看病のためと称して武具を隠した数箱などをもって入城し、そして重矩の居室で武装して宿直部屋に

居た飛騨守を斬殺して稲葉山城を乗っ取ったとされています。

三顧の礼をもって秀吉に誘われ重用されましたが

播磨三木城の包囲中に病に倒れます。秀吉は重治の病状を

心配して京都で療養させましたが、重治はすでに自らの死期を悟り、

武士ならば戦場で死にたいと秀吉に懇願して播磨三木の平井山秀吉本陣に

戻り、陣中にて死去します。享年36。死因は肺の病気とされています。