池田屋事件

こんにちは、秋田城介です。

本日は池田屋事件が勃発した日であります。

 

池田屋事件

幕末の京都は政局の中心地となり、尊王攘夷・勤王等の政治思想を持つ諸藩の浪士が潜伏して活動していました。

長州藩は会津藩と薩摩藩による宮中クーデターである八月十八日の政変で失脚し、朝廷では公武合体派が主流となっていました。

尊王攘夷派は勢力挽回を試みており、京都守護職は新選組を用いて市内の警備や捜索を行わせました。

 

5月下旬頃、諸士調役兼監察の山崎烝・島田魁らによって四条小橋上ル真町で炭薪商を経営する枡屋(古高俊太郎)の存在を突き止め会津藩に報告。武器や長州藩との書簡等が発見されます。古高を捕らえた新選組は、土方歳三の拷問により古高を自白させます。

自白内容は、「祇園祭の前の風の強い日を狙って御所に火を放ち、その混乱に乗じて中川宮朝彦親王を幽閉し、一橋慶喜・松平容保らを暗殺し、孝明天皇を長州へ連れ去る」というものでありました。

 

新選組側は一時は近藤・永倉の2人となりますが土方隊の到着により戦局は新選組に有利に傾き、方針を「斬り捨て」から「捕縛」に変更。

9名討ち取り4名捕縛の戦果を上げます。会津・桑名藩の応援は戦闘後に到着します。土方は手柄を横取りされないように、一歩たりとも近づけさせなかったといいます。

現在の池田屋跡は居酒屋さんになっていますww