虎退治

こんにちは、秋田城介です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本日は加藤清正が名古屋城天守一円を普請した日であります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

加藤清正

豊臣秀吉の子飼いの家臣で、賤ヶ岳の七本槍・七将の一人であります。その後も各地を転戦して

武功を挙げ、肥後北半国を与えられます。秀吉没後は徳川氏の家臣となり、関ヶ原の戦いの働きに

よって肥後国一国を与えられ、熊本藩主となります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

藤堂高虎と並ぶ築城の名手として知られ熊本城や名護屋城、蔚山倭城、江戸城、名古屋城など数々の

城の築城に携わります。また飯田直景、大木土佐らと穴太衆を用いて領内の治水事業にも意欲的に取り組みます。

この結果、熊本県内には現在も清正による遺構が多く存在します。その土木技術は非常に優れており400年後の

現在も実用として使われている遺構も少なくありません。このとき清正は莫大な人手をまかなうため男女の別なく

動員しましたが、給金を払い必要以上の労役を課すことなく、事業の多くを農閑期に行う事によって農事に割く時間を確保したといいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

弊社にて「加藤清正拵 大帽子」のお取り扱いがございます。